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まとめて言及したい記事を書く際に、ここを使う予定です。

『タイミー』を使って働く日々

何かと社会問題が言われる派遣労働という働き方だが、業者に登録したからといってすぐ働けてすぐ賃金が手に入る、というわけでは原則ない。
振り返れば、平成ヒト桁のバブル期前後にはそのテの形式のバイトが多数あったが、近年では法改正などが掛かってそれらが困難になった。
ただ世の中は(特に中国がそうだが)「上に政策あれば下に対策あり」となるのが必然で、自分もスマホアプリ経由でのスポット労働サービスを使う事で、アラフィフながら働けている。
自分が現在使っているのは「タイミー」で、金融機関口座と本人の身分証明書を運営元に登録しておけば、勤務終了後の1時間未満で即・銀行振込がされる点は魅力である。ただし職種制限や応募先の都合などもあって、大半は飲食業や販売店員(レジその他の経験が必須)・そしてイベント会場の設置や撤収・ほかに流通倉庫内作業(フォークリフト資格が必須の場面もあり)となる。
他にも類似のスポット労働仲介サービスとしては「シェアフル」などが宣伝しているが、使い勝手の点では現状としてタイミーの優位性が強い。

タイミーに似たアプリ13選!バイトアプリ利用時の注意点など詳しく紹介 - Pickt

自分は飲食業務だと『いっぱいいっぱい』になり致命的なミスを冒す恐れが強いためもっぱら倉庫内作業の募集へ応募しているが、それでもひと月5万円分の勤労ですら勤務後の疲労は強い。
そもそも倉庫地域はどうしても湾岸部や高速道路の通る山奥だったりして、そこまでの往復距離や交通費・通勤時間が掛かる例は多い。
住む所の近場にそれなりの仕事があればいいのだが、なかなかそうは行かないのが2024年の現実である。

『トリセツ』を読む人・読まない人の違いって何だろう(※再掲記事)

《この記事は、2017年2月26日に『はてなグループ日記(サービス終了)』に掲載されていたものの再掲です》

なぜ世の中には、説明書を読まない人がいるのか?(※再掲記事) - guldeenのはてブロ

先のエントリは、自分の中でここ三十年ほど抱いてきた疑問を記した、いわば「グチ」でもある。そんな内容にも関わらず、はてなー含めた方々にある程度の関心をお持ち頂き、恐縮である。長文を書くリハビリ練習を兼ね、少しだけこのテーマを掘り下げてみたいと思う。

「ほしい情報を検索」するのは、訓練を要する行為である

 「パソコンやスマホの電源をON→ブラウザを起動・検索サイトを表示→画面の『検索欄』に語句を入力・『検索』ボタンをクリック・タッチする」…。
 三十代以下の人にはとっくにおなじみの操作だが、高齢者にとっては苦痛なものの一つだろう。自分の若い時以降に登場した技術を追いかけるのは気力・体力が要ることだが、その両者が衰えている高齢者には「面倒くさい」もので、自力での検索操作をあきらめる人が少なくない。
 そしてそれが、また「周囲への安易な『質問の嵐』」を呼ぶ要因ともなる。

 とはいえ、誰にでも「初心者な時期」はあったわけで。「自転車に乗りたいなら、転ぶことを怖がるな」の精神で、大きな被害が出ない範囲で『痛い目に遭う』ことで、サーチエンジンでの調べ物はしだいに慣れてくる。
(一覧に出てきたリンク先を、安易に開いたりしない…どちらかと言えば、『ぼったくりバー』を避ける感覚に近いのだろうか?)

 幸いにも、パソコンなどIT機器は人間と違って「同じ操作を何度やっても、怒ったりしない」。上達には、経験あるのみ。

 最近の家電品では、トリセツは「はじめにお読みください/取扱編・機能編」など複数に分けられ、目を通す順番をある程度指定している例が多い。「とりあえず使いたい」、という世間のニーズに応えた結果としては、妥当な措置であろう。「買ったばかりで、使い方そのものがわからない状態」と、「ある程度の使い方には慣れたが、細かい点での設定が難しい状態」とで参考にしたい情報が違うのは、当然なのだから。

「壊れない限界」の見極めと、末永く使うための心がけ

 日常で扱う機器も含めてだが、『化学的・物理的・電子的(アナログ・デジタル)な変化をさせ、想定の目的を達成する』中で(設計側の)想定範囲を超えた使用をすれば、どこかに不具合をきたすのはある意味、当然のこととも云える。

 厄介なのは、近年だとコンピュータを応用した電子機器に多い「中の動作原理はそれまでの技術とは全く違うが、ユーザーインターフェースを駆使することで、今までと同じような操作に“見せかけて”いる(=エミュレーション動作)」商品の場合である。
 この場合、内部の仕組みや動作原理にある程度の理解や節度がある(技術系・理系出身者に多い)利用者は、使い方にも『限界』が存在することを、トリセツを読まずともおのずと把握している。
 一方で、今までと同じ調子で使う利用者の大半は、そういった事情を知らずに過負荷が掛かる使い方を無意識に行ない、結果的に商品の寿命を縮めたり壊したりしてしまう。

 かくして、機器の設計者らは注意をうながす意味で、箇条書きで「してはいけない事・操作が終わったらすべき事」を、トリセツの冒頭にズラズラと並べる羽目となり、それが一般利用者からの「トリセツは面倒だ」というイメージを固定化させかねない悪循環が生じ始めている。

 これを打開するため、一部商品では「操作の際にそのつど、確認音声を発する」仕組みを内蔵するものもあるが、技術的・コスト的な問題もあるためごく一部に留まっている。

使い手側が『デジモノのセオリー』を理解できているか

 id:nullpogattさんは「操作のスキーム」と表現されていらしたが、自分は『「デジモノ」(デジタル家電:おもにコンピュータ制御で動作する家電という意味)のセオリー』と呼んでいる。自らもデジタル家電を利用する設計者が、「この順番で操作してくれ」という想定ルート(操作フローチャート)が機器には含まれていて、それに沿うように使うと、スムーズに動作する。
 だが、実機で運用テストをしてみると、設計者が思いもつかなかった使われ方をされ、結果としてユーザーインターフェースや操作フローの作り直しを迫られる例もある。この運用テストを怠ったまま製品が出荷されると、市場で不評を買うことになるのだろう、と推測する。

 一方で、これまたご指摘のように、ゲームソフトでは初心者向けのチュートリアルが充実しているタイトルが少なくない。
「子供がおもに使うのだから、トリセツを読まなくても遊べる」ようにとのメーカー側の配慮の一環だが、操作と“世界観”の理解をしてもらうこの段階では、ややもすると説明が『くどい』きらいは否めない。
 ただいずれにせよ、学習能力が高い子供たちにとっては『遊びたい』という目的の強さがゆえ「好きこそ物の上手なれ」とばかり、あっという間に操作体系を体得してしまう。
 他方で家電の大半は、大人たちが「日常の家事・業務をこなすため」に『仕方なく』導入するものである以上、性能を発揮しつつ使いやすく、かつ安全面も考えることを設計段階で盛り込む難しさがある。

(余談だが、家電に求められる「使いやすい・安全である・壊れにくい」の3点は、そのまま『ロボット三原則』に置き換えられる。有名な話)

 ほかに『デジモノ』の操作で、慣れていない人がとまどうことの一つに、「2つ同時押し・長押し」などの操作が必要になる例が挙げられる。
 スマホでも、

  • タップ・ダブルタップ・ロングタップ
  • スワイプ/フリック・ピンチイン/ピンチアウト

 などの操作は、慣れれば便利だが「教わらないと思いつかない」操作体系ではある。まぁ何でも、デジモノに関しては「習うより慣れろ」ではあるのだが。

 取り留めも無いが、このへんで:-)

なぜ世の中には、説明書を読まない人がいるのか?(※再掲記事)

《この記事は、2017年2月26日に『はてなグループ日記(サービス終了)』に掲載されていたものの再掲です》

 …これは、自分が十代の頃からずっと疑問に感じている事だが、「その程度のトラブルくらい、説明書読んどけよ」と思うような些細な事でも、いちいち尋ねてくる人──具体的には、親など──が世間には多いように見受けられる。
 で、そういう人が世間での役職としては上な例だと、年下であるこちら側としては余計にストレスが溜まる事になる。今回はそれらの原因を、箇条書きで考察してみた。

  • 読字障害を抱えている

 日本の世間ではそれほど表面化してないものの、実はかなりの隠れ要因なのでは無いかと俺が推測する要素の一つ。意外なようだが、人間の脳には「文字の形を見て、それを文字であると認識し、書き記す」ための専用の部位というものが、存在しない。そもそも、文字を使い記録するという習慣が人間社会で発生したのはおよそ五千年ほど前からで、これは人類の進化から見れば『ごく近年』といってもいい。
 日本語だと、漢字の種類が多いこともあってか「読めても書けない」字がある例は特にハジでは無いとされるが、欧米圏だとたとえば、「fifteen」と「15」が同じ意味を指すことが認識できない例が、まま見られるそうだ。この読字障害を抱えている有名人の例としては、映画俳優のトム・クルーズが知られる。
 ここで疑問に思われるのが、彼はどうやって台本を覚えているの?という点だが、人によっては「朗読して貰ったテープを聴き込む」などの方法があるという。何にせよ、「書かれている内容が理解できない」=「説明書を読まない」人に、機械を与えるのは危険極まりない。

  • 自分のいま置かれた状況を、客観的に理解できない・説明できない

 パソコンでのトラブルでは典型だが、「何もしてないのに壊れた」と修理センターに持ち込まれる例では、そのうちの少なくない割合で『設計における想定』を大幅に逸脱する操作を利用者が行なった形跡があると聞く。曰く、「動作が固まったので『電源コードを引っこ抜いた・叩いた・水濡れした・プリンターの用紙を引き抜いた』」など。
 またあるいは、当人の責任ではないものの「デジカメのメモリーカードを貸し借りしたら、ウイルスを伝染された」「ウィンドウズのバージョンを上げたら、ソフトが対応してなかった」「DVDドライブのトレーに、子供が異物を載せた」など、正常に動作しない原因の見極めが難しい例はある。

 いずれにせよ、「目の前のその機械は、およそどのような原理で動いているのか・何を故意に行なうと壊れるのか」に関心が無いまま動作させている事に対し、特に何も感じない利用者が多々居るというのは、ある意味怖い話ではある。

  • 思い込みが強い・学習意欲が弱い・皮膚感覚に頼りすぎる

 この百〜二百年ほどの間に発生した技術革新の凄まじさは、「十年ひと昔」「日進月歩」という諺の意味を実感させるには充分なほどである。そういった社会の中では、次から次へと矢継ぎ早に現れる技術に対応しようとすれば、あっという間に人生が終わってしまう。
 一方で、大半の人は歳を取るにつれ、若い頃に覚えた習慣に固執してしまうのが常である。自然界では、あれもこれもと試していては、生存の可能性が減る。ゆえに、自分なりの「セオリー」を早めに立てて『余計な考えや動作を捨てる』ことで「生き易さ」を図るのは、一種の生物でもあるヒトとしては当然の行動ではある。

 しかしその結果、『若い頃には見た事も聞いた事も無い新たな技術』が世間で広く使われる社会に、適合できなくなる人の割合は増えてしまう。ちょっと冷静に考えれば、大勢の人が使うのだから『まっさら』な状態から使い方を順番にたどっていけばそういった技術は「子供でも使える」ハズな物なのだが、そこで『思い込み』が邪魔をする。
 道具を使い何らかの操作を行なう場合、大半はそこに手応えなり音なりのフィードバックを感じる事で人間は自分の動作を微調整する。この一連の「操作→反応→微調整」のサイクルは、道具によってそれぞれ違う(すぐに反応が帰ってこない場合もある)。
 動作がアナログ的な操作体系の場合は、それらの振動や音や熱や手触りなどにはある程度の関連性があり、職人はこれらをしばしば「皮膚感覚」と称する。だがその皮膚感覚は、しばしば「思い込み」を産む元ともなる。

 一方で、新たな機械を目の前にした際に戸惑うのは「目的を達するために動かすにはどう操作するか」がピンと来ないからで、ここで(それまでの操作経験が活かせるような)「ユーザー・インターフェース」の設計がカギとなる。
 プログラムで反応速度や手応えが個別に設定できるような操作体系の場合は、効率の面から考えれば一見すると不必要な反応(操作や警告の際の電子音・点滅や色の変化・振動)を操作者にわざわざ示す事もある。ただそれらの操作に関しては、しばしば「座学で学習する機会」は限られる。ゆえにそれらの操作体系は、日常の中で各人ごとに、ある程度の失敗を何度か重ねて体得する事になる。

 その際に、新たな操作体系をイチから覚える・つまり「新たに学習する」プロセスが発生するが、そこでは今までの生活の中で培った「思い込み」(先に挙げた『皮膚感覚』もそのひとつ)を一旦捨てる必要がある場面も当然あり、かつ「今までの経験が通用しない」=「これまでに会得した技術の『使い回し』」で生きてきた人には一種の苦痛となる、という事でもある。

 また、そういった人は「操作の間違いを他人から指摘される事を、病的に恐れる・逆ギレする」例も目に付く。これは推測だが、かつて『年長者は偉いのだから、やる事には黙って従え』と幼少の頃から言われ続けてきた一方で、自分がいざ年長者になってみれば世間からは「それまでの人生経験が生かせない・無能扱い」される事に納得できない事への、自己防衛からくる行動なのかもしれない。

  • 他人との意思疎通を、上下関係を通してしか解釈できない

 信じがたい事だが、世の中には対人関係を「他人は、俺の部下・又は『仕事をくれるエラい人』」という目でしか捉えられない人が居る(そして後者には、媚びへつらうのもこのテの人達の常である)。「自分の手には負えない」事をカネでプロに頼む、というのが例えば家電修理や設置・「カギ開け」・自動車整備士などの職業が成り立つための根本なのだが、この類いの人は『手間賃・手数料』という概念や理解に乏しい事が多い。
 「2分でカギを開けて、1万円も取るの?」と疑問を呈するのもよくある話だが、そういう場合には「開けるのにいま掛かった時間は2分ですが、その技術を習得するには最低でも3年、そして日々進歩しているカギの技術に対応する為にも普段から研究・練習してます」と説明せねば、仕事を続ける上での大変さは分からないのだろう。

 ゆえに、こういった人に対しては「説明書をちゃんと読めば、自力で解決できますから、余計なカネを払う必要が無くなりますよ」と、折に触れてささやき続けるのが効果的かもしれぬ。
 また、部下としてムチャ振りをされた場合には「これは、業務命令であれば仕事の一環ですね?だったら、技術手当を下さい。それをくれないなら、外注でも何でもしてください」と早めに表明しておかないと、自分の本来の職務は遂行できないわ周囲からは便利屋・無能扱いされるわで、こちらには何もメリットはない。

acer Aspire5750 のHDDをSSDに交換する

現在、自分は(実稼働分として)デスクトップ型が2つ(32bit/64bit Windows10)・ノートパソコンをひとつ(※ https://guldeen.hatenablog.com/entry/2020/07/11/085355 でも登場したコレ)保有している。そしてそのノートパソコンだが、元々がWindows7時代のスペックであるCore i5・第2世代(2410M)という事もあり、HDDからの Windows10 起動では電源ONから実際に使えるまでざっと10分近く掛かり、このことが最近は少なくないストレスの種になっていた。
一方で、2010年代後半からは2.5インチ型(他にも多様な形状の物)のSSDが登場し、容量ごとの値段も年を経るごとに次第に下落してきている。WindowsなどのOS+実ユーザデータ領域を含む容量(240/480GBなど)でも廉価に落ち着いてきた事もあり、パソコンの起動時間の高速化が図れるのならという事で、思い切って導入を決めた。
Amazon.co.jp: エッセンコアクレブ KLEVV SSD 480GB SATA3 6Gb/s 2.5インチ 7mm 3年保証 NEO N400 K480GSSDS3-N40 : パソコン・周辺機器
エッセンコアクレブ KLEVV SSD 480GB SATA3 6Gb/s

このメーカー、原因は分からないが以前に購入したSDカードでは『相性』が良くなく「突然、データが読み込まなくなる」などのトラブルが多発したこともあり、敬遠していた。そしてその懸念は性能とは別の部分で発生したが、致命的というほどの実害では無かったのでスルーしている。

HDD→SSDクローンは添付外ソフトが吉
Amazonに私が投稿したユーザーレビューはこちら。SSD購入者であれば「クローンディスク作成ソフト」がダウンロードできる筈が、不可だったので仕方なく別の企業の製品(※シェアウェアだが、基本的なHDD/SSD操作に関しては無料)である Macrium Reflect Free (ダウンロードページは英語だが、ソフトウェア自体は日本語対応)を使用した。

Macrium Software | Macrium Reflect Free Trial
ここで軽くハマったのが、「転送元のHDD容量大・転送先のSSD容量小」となる例での対処。

Macrium Reflect Free Edition のダウンロードと使い方 - k本的に無料ソフト・フリーソフト
通常の使い方(Windows自体のバックアップ)などならこのページを参考にすれば良いが、
Macrium Reflect 8 Free 大小ディスクにクローンする最適ソフト | パソコンりかばり堂本舗
こちらのページや、
「Macrium Reflect 8 Free」で大容量HDDから小容量SSDへクローンできるソフト : 自作エクセルツールと便利ツール情報
こちらのブログなどを参考にして、「使用データがディスク容量ぎりぎり一杯になっていない事」が条件ではあるが「大容量HDDから小容量SSD」へのクローンが可能である。(GUI操作で、コピーの対象となるパーティション枠が直感的に操作できるのはありがたい)

5時間(!)ほど掛けてのクローン化が終了したあとは、内蔵HDDを取り外してSSDに付け替え、蓋を閉じればよい。
この後の起動時間だが、デスクトップ画面の表示までが2分以内・マウスでファイル操作が出来るようになるまでの時間が1分未満と、以前のように待たされる事もなくなって快適な使用感である。

安倍元首相銃撃現場を、訪れてきました

ja.wikipedia.org
7月8日は、自分は休み日でした。母との昼食を作り終えた際にテレビを点けたところで飛び込んできた、突然の白昼の凶行。そもそも参議院選挙の応援演説で、安倍元総理が奈良入りしていた事も自分は知らなかったので、第一報を聞いた際は何が起きたのかまったく分からない状況。
その後、午後になり容体の回復の見込みが無い事に続き、夕方以降は『安倍元首相、撃たれ死亡』のニュースがメディアを埋め尽くすことになります。
翌日のコンビニの新聞売りスペースは、どの紙も安倍氏の訃報を伝える見出しがずらりと並ぶ異様さでした。

じつは私は正直なところを言えば、安倍元首相の姿をナマで見た事はありません。議員活動・その後幾つかの場で、これまでの立場や諸方面に築いてきた関係を生かした活動をしていくのだろうと漠然と思っていたところの、この一報。一連の報道を見聞きしているうちに、一種のPTSDに近い症状が自分を包んでいるのに気づき、この日がつくづく仕事日でなくてよかったと感じました。
その後、現地には『献花台』が設けられ、多くの人たちが安倍氏の突然の死を悼んで献花に訪れる光景がしばらく続くことになります(※献花台は7/19朝に撤去)

その後、自分の中でのこの報道を見聞きした事でのモヤモヤに整理を付けたくなったため、7月17日・日曜日に現地へと向かいました。
JR大阪環状線から鶴橋駅近鉄大阪線に乗換えて到着した、近鉄大和西大寺駅。北は京都・東は奈良・西は生駒から大阪・南は橿原や吉野と、奈良北部平野の交通の要衝のひとつです。ここでの立会演説となれば、立地としても多くの聴衆が見込まれるのは容易に予想ができます。
ただその一方、すでに多くの人から指摘が上がっているように、ガードレールで囲まれた安全地帯内にあった演説台は『どこからでも見える場所=何かあった時に隠れる事が難しい場所』だと、私の眼にも映りました。
近年に設けられる駅前ロータリーの構造としては、一般的には幹線道路を駅から遠くへ迂回させる構造が普通です。しかしこの大和西大寺駅北側のそれは、現在はまだ改修工事中で幹線道路がガードレール製安全地帯のすぐそばを突っ切っている構造です。これでは、万全な警備は望めません(そして実際に、その虚を突かれた形で銃撃が行われました)。

私が訪れた日は、駅構内でも献花用の花が売場を臨時に設けて販売されていました。現場の献花台に供えるための花を多くの方々が購入し、改札口を潜って現場へと足を運んでいました。北側の出口階段を降りれば、報道でさんざん目にした『あの』台形の安全地帯が目の前に見えます。凶行に倒れた安倍氏の事を思うのか、ここから見える現場を悲しげに見つめる人が、入れ代わり立ち代わり訪れておりました。現地では様々な制服を着た複数の警備員が、交通量の多い幹線道路を渡る人たちの交通誘導に、熱い中たずさわっていました。
日除けテント下にある献花台には、ジャケット姿でほほ笑んでいる亡き安倍氏の写真が掲げられておりました。高齢者が多めでしたが、子連れの親も献花の列に並んでいました。私がざっと見た限りでは、献花の列は200mにも達しておりました(午後に入ると、報道では300m以上もの長さになったそうです)。
献花列と道路を挟んだ反対側の歩道には、マスコミ各社がカメラを構えていました。あとで知りましたが、この日の昼には国家公安委員長が視察に訪れる事になっていて、私服警官(立ち振る舞いが一般人と異なるので、すぐ判ります)が多かった理由でもありました。
安倍氏銃撃「日本国としての信用失墜」…国家公安委員長が要人警護の見直し急ぐ考え : 読売新聞オンライン
私が現場に滞在していたのは1時間ほどでしたが、立ち去る際の昼近くにはさらに人出が多くなり、皆のこの事件への関心と哀悼の意の強さをひしひしと実感しました。