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まとめて言及したい記事を書く際に、ここを使う予定です。

なぜ世の中には、説明書を読まない人がいるのか?(※再掲記事)

《この記事は、2015年6月13日に『はてなグループ日記(サービス終了)』に掲載されていたものの再掲です》

 …これは、自分が十代の頃からずっと疑問に感じている事だが、「その程度のトラブルくらい、説明書読んどけよ」と思うような些細な事でも、いちいち尋ねてくる人──具体的には、親など──が世間には多いように見受けられる。
 そういう人が世間での役職としては上な例だと、年下であるこちら側としては余計にストレスが溜まる事になる。今回はそれらの原因を、箇条書きで考察してみた。

  • 読字障害を抱えている

 日本の世間ではそれほど表面化してないものの、実はかなりの隠れ要因なのでは無いかと自分が推測する要素の一つ。意外なようだが人間の脳には「文字の形を見て、それを文字であると認識し、書き記す」ための専用の部位というものが、存在しない。そもそも、文字を使い記録するという習慣が人間社会で発生したのはおよそ五千年ほど前からで、これは人類の進化から見れば『ごく近年』といってもいい。
 日本語だと、漢字の種類が多いこともあってか「読めても書けない」字がある例は特にハジでは無いとされるが、欧米圏だとたとえば、「fifteen」と「15」が同じ意味を指すことが認識できない例が、まま見られるそうだ。この読字障害を抱えている有名人の例としては、映画俳優のトム・クルーズが知られる。
 ここで「彼はどうやって台本を覚えているの?」という点が疑問にあがるだろうが、人によっては「朗読して貰ったテープを聴き込む」などの方法があるという。何にせよ「書かれている内容が理解できない」=「説明書を読まない」人に、機械を与える事はある意味、危険極まりない。

  • 自分のいま置かれた状況を、客観的に理解できない・説明できない

 パソコンでのトラブルでは典型だが、「何もしてないのに壊れた」と修理センターに持ち込まれる例では、そのうちの少なくない割合で『設計における想定』を大幅に逸脱する操作を利用者が行なった形跡があると聞く。曰く「動作が固まったので『電源コードを引っこ抜いた・叩いた・水濡れした・プリンターの用紙を引き抜いた』」など。
 またあるいは、当人の責任ではないものの「デジカメのメモリーカードを貸し借りしたら、ウイルスを伝染された」「ウィンドウズのバージョンを上げたら、ソフトが対応してなかった」「DVDドライブのトレーに、子供が異物を載せた」など、正常に動作しない原因の見極めが難しい例はある。

 いずれにせよ、「目の前のその機械は、およそどのような原理で動いているのか・何を故意に行なうと壊れるのか」に関心が無いまま動作させている事に対し、特に何も感じない利用者が多々居るというのは、ある意味怖い話ではある。

  • 思い込みが強い・学習意欲が弱い・皮膚感覚に頼りすぎる

 この百〜二百年ほどの間に発生した技術革新の凄まじさは、「十年ひと昔」「日進月歩」という諺の意味を実感させるには充分なほどである。そういった社会の中では、次から次へと矢継ぎ早に現れる技術に対応しようとすれば、あっという間に人生が終わってしまう。
 一方で、大半の人は歳を取るにつれ、若い頃に覚えた習慣に固執してしまうのが常である。自然界では、あれもこれもと試していては、生存の可能性が減る。ゆえに、自分なりの「セオリー」を早めに立てて『余計な考えや動作を捨てる』ことで「生き易さ」を図るのは、一種の生物でもあるヒトとしては当然の行動ではある。

 しかしその結果、『若い頃には見た事も聞いた事も無い新たな技術』が世間で広く使われる社会に、適合できなくなる人の割合は増えてしまう。大勢の人が使うのだし『まっさら』な状態から使い方を順番にたどっていけば、そういった技術は「子供でも使える」ハズな物なのはちょっと冷静に考えれば分かる話だろうが、そこで『思い込み』が邪魔をする。
 道具を使い何らかの操作を行なう場合、大半はそこに手応えなり音なりのフィードバックを感じる事で人間は自分の動作を微調整する。この一連の「操作→反応→微調整」のサイクルは、道具によってそれぞれ違う(すぐに反応が帰ってこない場合もある)。
 動作がアナログ的な操作体系の場合は、それらの振動や音や熱や手触りなどにはある程度の関連性があり、職人はこれらをしばしば「皮膚感覚」と称する。だがその皮膚感覚は、しばしば「思い込み」を産む元ともなる。

 一方で、新たな機械を目の前にした際に戸惑うのは「目的を達するために動かすにはどう操作するか」がピンと来ないからで、ここで(それまでの操作経験が活かせるような)「ユーザー・インターフェース」の設計がカギとなる。
 プログラムで反応速度や手応えが個別に設定できるような操作体系の場合は、効率の面から考えれば一見すると不必要な反応(操作や警告の際の電子音・点滅や色の変化・振動)を操作者にわざわざ示す事もある。ただそれらの操作に関しては、しばしば「座学で学習する機会」は限られる。ゆえにそれらの操作体系は日常の中で各人ごとに、ある程度の失敗を何度か重ねて体得する事になる。

 その際に、新たな操作体系をイチから覚える・つまり「新たに学習する」プロセスが発生するが、そこでは今までの生活の中で培った「思い込み」(先に挙げた『皮膚感覚』もそのひとつ)を一旦捨てる必要がある場面も当然あり、かつ「今までの経験が通用しない」=「これまでに会得した技術の『使い回し』」で生きてきた人には一種の苦痛となる、という事でもある。

 また、そういった人は「操作の間違いを他人から指摘される事を、病的に恐れる・逆ギレする」例も目に付く。これは推測だが、かつて『年長者は偉いのだから、やる事には黙って従え』と幼少の頃から言われ続けてきた一方で、自分がいざ年長者になってみれば世間からは「それまでの人生経験が生かせない・無能扱い」される事に納得できない事への、自己防衛からくる行動なのかもしれない。

  • 他人との意思疎通を、上下関係を通してしか解釈できない

 信じがたい事だが、世の中には対人関係を「他人は、俺の部下・又は『仕事をくれるエラい人』」という目でしか捉えられない人が居る(そして後者には、媚びへつらうのもこのテの人達の常である)。「自分の手には負えない」事をカネでプロに頼む、というのが例えば家電修理や設置・「カギ開け」・自動車整備士などの職業が成り立つための根本なのだが、この類いの人は『手間賃・手数料』という概念や理解に乏しい事が多い。
 「2分でカギを開けて、1万円も取るの?」と疑問を呈するのもよくある話だが、そういう場合には「開けるのにいま掛かった時間は2分ですが、その技術を習得するには最低でも3年、そして日々進歩しているカギの技術に対応する為にも普段から研究・練習してます」と説明せねば、仕事を続ける上での大変さは分からないのだろう。

 ゆえに、こういった人に対しては「説明書をちゃんと読めば、自力で解決できますから、余計なカネを払う必要が無くなりますよ」と、折に触れてささやき続けるのが効果的かもしれぬ。
 また、部下としてムチャ振りをされた場合には「これは、業務命令であれば仕事の一環ですね?だったら、技術手当を下さい。それをくれないなら、外注でも何でもしてください」と早めに表明しておかないと、自分の本来の職務は遂行できないわ周囲からは便利屋・無能扱いされるわで、こちらには何もメリットはない。