guldeenのはてブロ

まとめて言及したい記事を書く際に、ここを使う予定です。

Lubuntu上でXCF画像をSusieで見る

・やること:Lubuntu(※Ubuntuの軽量バージョンのうちの一つ)で、XCF画像を手軽に見る

Windowsフリーソフトで、現在では古い部類になる『Susie』(読みは「スージー」)という、画像閲覧ソフトがあります。(リンク→ https://www.digitalpad.co.jp/~takechin/ )
「画像ビュワー」(ビューワとも表記される)の一種で、動作が軽量で画面上のウィンドウ配置が自由なことから、使い続けている人が多いソフトでもあります。
Susieは『プラグイン』と呼ばれる拡張機能を組み込むことで、動画を含めてさまざまな形式の画像を表示できます。
(なお、Windows10で利用する場合の注意→ https://www.digitalpad.co.jp/~takechin/bbs/article.php?A=43185 )
このプラグインについてですが、各人が公表・発表している物は多岐にわたり、一時期はいわゆる『美少女ゲーム』で使用されている特定の画像形式に対応した物も公表されていました。ただしそれらプラグインの多くは、無料ウェブページに掲載されていた事もあり、サーバ運営会社の無料ウェブページサービス終了やプラグイン作者の意欲の喪失などと共に、失われた例も多々あります。

一方、画像加工・描画ソフトとして、多機能な事で知られる『GIMP』(ギンプ/ジンプと呼ばれる)というフリーソフトがあります。WindowsMacLinuxなど、さまざまなOSで利用が可能です。(ダウンロードはこちら→ https://www.gimp.org/downloads/ )
GIMPバージョン2.10まで開発が進んだ2020年6月現在では、画像加工ソフトの頂点に立つ『アドビ・フォトショップ』の代わりとして日常的に使うユーザもそこそこおり、フォトショップと同様に『画像レイヤー』構造を保ったまま画像ファイル保存ができます。

フォトショップでのファイル保存の基本形式ファイル拡張子は『PSD』で、一方のGIMPでのファイル拡張子は『XCF』です。
ただし、GIMPでPSD形式ファイルを読み込む・また書き出す事は可能ですが、その場合『フォトショップ側での拡張機能』(たとえば『文字レイヤー』機能など)を完全に活用できるわけではありません。また、フォトショップはXCFファイルに対応していません。
このため、フォトショップで作成したファイルをGIMPで読み込んで開いた場合、PSD画像ファイルのうち、文字レイヤー部分はGIMP側では「単なる画像レイヤー」としか解釈できず、GIMPを使ってPSD形式ファイルの文字レイヤー部分の文言を編集する、といった事は(現時点では)できません。

そして厄介なことに、XCFファイルでもGIMPのバージョンの新しい側で作成したものは、古いバージョンのGIMPでは基本的には(※この部分、後述します)開けません。『後方互換』が、取れていないのです。

   * * *

さて最初の話に戻りますが、Susieプラグインは仕様が公開されていて、他のソフトでも流用されるなどの理由もあるためか、画像プラグインとしては検索や入手が比較的容易です。
XCFファイル向けにも開発されたSusieプラグインがあり、入手が可能です。(※ http://iooiau.net/ifxcf.html )
ただ、ここで先ほどの『XCFファイルは、後方互換が取れていない』問題が、絡んできます。
私のやりたい事で言えば、「GIMP2.10系で編集したXCFファイルが、2.8までしか対応してないプラグインを利用するビュワーでは見れない」のです。

さりとて、自分には開発するほどの力量が無いため、対処療法的にどうにかならないかを調べていたところ、応急措置としての方法を見つけたので、ここにメモしておきます。
(参考・ https://www.gimp-forum.net/Thread-Gimp-2-10-and-saving-in-Legacy-xcf

GIMP2.10でのファイルの最大の違いは、RGBの色深度(一番わかりやすいのは、色のグラデーションの滑らかさ)が、従来の8bit(256段階)から16(65536段階)/32bit(約42億)に拡張された事です。またそれに伴い、各レイヤーごとに適用できる『レイヤー効果』も、いくつかが新規に拡張されました。しかし、これらの新規機能を2.8以前のGIMPは解釈できないので、読み込みエラーになります。

下の図を見て下さい。レイヤーウィンドウで、「Default(デフォルト)」と「Legacy(レガシー)」の2種類の保存オプションの切替えができるようになっています。「レガシー」は2.8までの機能・「デフォルト」は拡張された機能込みでのオプションとなっています。
これらのレイヤーオプションをすべて「レガシー」に・かつ色深度を「8bitリニアRGB」に設定してXCF形式で保存したファイルは、GIMP2.8でも開いて確認・編集が可能となります。そしてこのファイルは、先に述べたXCF用プラグイン経由でも閲覧が可能です。
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   * * *

ここからはかなり変則的な使い方になりますが、「Windows用のソフトウェアをLinuxで使う」方法として、『Wine』(現在はWine HQ)を経由する方法があります。(詳細や解説は、こちら→ https://ja.wikipedia.org/wiki/Wine )
DirectXなどの、ハードウェアに強く関わるWindows用ランタイムを要するソフトの場合は、ここからさらに工夫が必要ですが、単機能のフリーソフトの場合はWineの基本的機能だけで利用できる事が多いです。
実際、私もWineに登録する形で、Lubuntu 18.04上でSusieのほかにIrfanViewやGV32など、Windows用の各種ビュワーを利用しています。

なお、UbuntuにWineHQを導入する方法や注意に関しては、以下のリンクが参考になります。
https://wiki.winehq.org/Ubuntu (英語)
https://www.330k.info/essay/install-wine5-to-ubuntu-18.04/
https://awesome-linus.com/2019/04/11/ubuntu18-wine-install-kindle/
日本語環境では特に、Wineをインストール中の表示が『□□□』などになる・いわゆる『文字化け』例が数多く報告されていますので、フォントの置き場所位置の指定や対応したフォントのダウンロードができているか、などを確かめてください。

我が家のネット再開通奮闘記

今回は、固定ネット環境の再整備がらみで私が苦労した例を、これからも増えるであろう成年後見制度の利用・あるいは検討をしている家庭向けに、知識の共有目的も兼ねて備忘録代わりに公表してみる。
現在の日本の社会は高齢化が顕著であるが、そんな中で直面したわが家での奮闘の経験が、皆様のご参考になれば幸いである。

ことの発端はといえば、わが母が
「あー、そろそろ私も、タブレットでも使ってみようかな~」
と言い出したことであった。
かつて私の父は、家の電話回線を光ファイバー回線に付け替えたついでに、プロバイダ契約を結んでいた。当初の契約ではサンネットだったが、その後のプロバイダ会社自体の合併などに伴い、最終的には『ぷらら』との契約になっていたようだ。伝聞調で記しているのは、私はその頃にいったん実家を出て、やや離れた和歌山・紀伊田辺で地方部勤務生活をしていたからである。
その後、何やかんやがあって大阪の自宅へ10年ぶりに戻ってみれば、私が家を出る頃にあれだけ侃々諤々とやりあった人とは思えぬほど、父はすっかりボケていた。特に、私の事を息子と認識する事さえおぼつかなくなっていた父の姿には、ただ愕然とするしかなかった。この時点で、家庭内の光熱費をふくめた公共料金の管理は、母がおこなっていた。

ここで、すでに使われていない父名義の携帯電話やネットプロバイダ契約などが家計の負担となるわけだが、私が主導する形で解約を進めていった。それが、2016年の話である。
これと併せ、父はこの時点で有価証券その他、ある程度の資産を保有していた。これら資産の保全・ならびにグループホーム特別養護老人ホーム(以下『特養』と略す)などの高齢者施設へ入居する際の費用を払い込む場面で、父当人の資産を取り崩す必要が生じた場合に、母が代理で手続きを行なうために必須となるであろう『成年後見制度』の利用を検討した。
その当時はまだ右も左も分からぬ状況であり、家庭裁判所に母子そろって相談や申請手続きを行なうなどし、最終的には母が後見人として選出・認定されるに至った。だが一方でこの行動が、のちのちまで影響を及ぼす要因となってくるとは、思ってもみなかったのである。

さて年月は下り、父が特養で完全介護環境のもと日々を送るようになってから、はや2年ほどが経っていた。そこで母がふと、冒頭のように私に話し掛けてきたのである。
もっとも、母がそのような形で私に持ち掛けてくる問題ごとの相談は、大半がややこしくこじれるのを経験的に私は知っていたため、反射的に警戒した。
「ね〜、◎◎ちゃん(※私のこと)。うちって今、インターネットが使えるの?」
「いや、前はお父さんが自分でネット契約して使うとったけど、施設(※特養のこと)に入ったからもう使ってないし、って俺が解約手続きしてたやん」
「へー。でもそうすると、いま電話機の横でピカピカ光ってるアレは、何なん?」
母が指しているのは、NTT光ファイバー回線からの信号を変調するONU(※ルータ機能内蔵・Wi-Fi親機機能付き)のことである。ただ先ほども説明したように、現在では単に『フレッツ光』の電話機能しか使用していない。『ピカピカ光る』とは、モニターLEDが電話としての回線の状況を点滅で知らせているさまの表現だ。
「ああ。あれは、電話局からの回線がちゃんと機能してますよ、ってサインやね」
「ふーん…。それはえぇけど、お母さんの友達にもタブレット持ってる人がおるんよ。あれって字が大きいから、お母さんぐらいの歳の人とか、老眼でも使いやすいみたいね。でもその人ら『Wi-Fiにつなげて使うてる』らしいんやけど、うちでそれ使おうとしたら、どないしたらいい?」
この段階におよぶに至り、うわー面倒な事になったぞ…と、内心では頭を抱えていた私であった。

母も私もウェブを見る手段としては、現時点ではドコモのスマホ(Xi:クロッシィ)しか利用していない。そこへ昨年(2019年)あたりから、遠方に住む親族と母との間での『LINEビデオ通話』が増えてきたのである。
ぶっちゃけて言えば、要は『都会に住む可愛い孫の顔が見たい』用途である。
おそらく、高齢者がスマホを持つ目的の大きな要因として上位に入るであろう理由だが、そうなると悩ましいのが『通信データ量の増大』問題である。
母は現在、ドコモの『ギガライト』を契約しているが、これはデータ従量ステップ課金制の料金プランである。そして(皆様の大半はご存知だろうが)これらビデオ通話形式は、短時間であっても多量のデータのやり取りが発生する。従量制プランだと、利用料金がうなぎ登りになるのだ。ただでさえ家計に余裕のない我が家で、これはマズい。

「ざっくり言うと、手順としたら(1)もう一度ネット契約する(2)タブレットを買ってくる(3)あの機械(※Wi-Fi親機機能つきルータ)と接続する、やね」
我ながら、ずいぶんと荒っぽい説明だとは思ったが、それ以上の解説をしても母が分かるとは思えなかったので、このような物言いになった。
「あーそー。で、そのネット契約って、簡単なん?面倒なん?あとタブレットって、幾らくらいするのん?LINEで東京の△△ちゃんと話すのに、いまのスマホやと画面が狭いんよ」
蛇足だが、△△ちゃんとは母から見た場合の、孫のことである。
タブレットはどうか知らんけど、現在のうちの状況って、たとえば電話回線はお父さんの名義のままで、実際に使うてるのは俺とお母さんで、お金払ってるのはお母さんよね。
 そのまま使ってる分には問題なくても、また新たにネット引くとなると『財産の保全』の観点からは、家庭裁判所に報告して判断してもらうのが、必要になってくる状況なんと違う? 監査人(※)な司法書士さんに報告して、OK貰わんとアカンやろね」
(※注:家庭裁判所は、被後見人(早い話が『認知症』などの人)の財産を適切に保全する必要があると判断した場合、後見人の補佐として『監査人』(一般的に、弁護士や司法書士が着任する)を付ける場合がある。これは、後見人は拒めない)
そう母に私が告げると、意外だと・あるいは不承々々という感じの表情で、
「…で? アタシはどないしたらえぇん? あんたはこういう時、口で言うばっかりで気楽やけど、実際にあちこち動くのはお母さんやねんし、手続きの説明されてもサッパリやで? まぁ司法書士さんには、連絡しとくけど…」
と返され、せっかく善意で手続きを考えていた私も、少なからずゲンナリした。

     * * *

日が改まってから、自分なりに建ててみたプランは3つ。
1)今あるNTT西日本光回線を活かし、『ドコモ光』を契約する。母も私も、使っているスマホのキャリアはドコモなので、なんらかの割引が使えるであろう。
2)今あるNTT西日本光回線を活かし、NTT西のフレッツ光に載せる形で、提携プロバイダを選んで契約する。電話回線の契約名義人を父のままで、新たに「ネットプロバイダの主契約者」を母に立てる。
3)固定電話は触らず、定額モバイルWi-Fi回線類を新たに契約する。1日10分ほどのビデオ通話なら、それほどデータ量も使わないだろうし、少なくとも「ギガライト/ギガホ」で動画通信を行うよりは安くあがるハズ。

     * * *

1)のプランだが、私だけが先走って契約手続きをしても仕方ないので、ハイテク関連がさっぱりな母を急き立てる形で、日頃からよく訪れるドコモショップに相談予約を取った。折りしも世間は『新型コロナ感染対策』のため、ドコモショップでも座席や出勤するスタッフの数などを間引いているそうで、予約の日取りを調整するのに少々難儀した。
そして、予約当日。身分証明書やNTT回線の事情が分かる請求書などをあらかじめ用意し、窓口に母を連れて赴いた。もっとも大半の事は電話番号から割り出せる辺りに、窓口担当者の手際の良さを感じさせたが、ここで問題が発生。
どういうことかというと、『ドコモ光』は基本的に『携帯電話の所有名義人』名でプロバイダ契約を行うので、今回の我が家の例だと母・または私に光回線の名義を変更する必要があるのだという。またこの場合は『転用』といって、光回線の扱い事業者を(この場合なら)NTT西日本からドコモへと変更する必要がある。ただしこの手続きは、ウェブや電話で『転用転出番号』を得るだけで、比較的簡単に済む。
もっとも、今回は『回線名義人の変更』手続きが必須という点で、家裁・監査人の許可が得られそうにないので、残念ながらこのプランはボツとなってしまった。せっかく頑張ってくれた窓口担当のおにーさん、ゴメン。

さて、2)のプラン。NTT西の場合だと 0120-116116へと電話(※平日の9時〜5時)し、『フレッツ光・コラボレーション事業者(=つまり、提携プロバイダ)』の変更・新規契約の手続きとなる。今回は変則というか、まず電話窓口でヒアリング・のちに家裁や監査人のOKが出てから、契約手続きを進める手順を踏んだ。母経由で司法書士さんのOKを電話でいただいたのが夜だったので、日をまたいで2回目の電話をかける。
あらためてNTT西の電話窓口担当者に伝えて、現在の我が家のフレッツ光ひかり電話のプランを確認してもらったのち、提携プロバイダのうちから今回は、料金プランやメールアドレス個数の観点から、私の独断でだが『ビッグローブ』を選ぶ事にした。
この場合、回線名義人と回線事業者は父とNTT西のまま、プロバイダ契約では母が契約主体者となり、司法書士の見解としては今回の例は『被後見人の資産の私物化』には当たらない…であろうとの判断を貰えたので、ひとまずこれで契約手続きが進むことになる。なお、回線事業者はNTT西から動かないので、『転用』手続きほかは不要で済む事となり、気苦労の種も減るのは幸いであった。
またその際、請求される月々の料金の請求形態だが、これもNTT系(NTTファイナンス)に一本化が可能との事だったので、それを選んだ。

そして次の週の火曜日、ビッグローブから早々にA4サイズ封書に入った『サービス開始のお知らせ』(=会員登録済み・サービス開始)書類が来た。私自身は、和歌山Iターン時代にも自力で(合計3回引越したが、その都度)ADSL回線を引いてセッティングするほどのマニアックな人なので、固定回線を引く際のセオリー自体は熟知しているが、これが機械オンチな母だけなら早々にギブアップだっただろう。ちなみにキャンペーン期間という事で、今回の利用契約(2年縛り)者には『タブレットLAVIEが1円で買える』特典が付いていたので、母のためにと応募した。

     * * *

さて、現在の我が家で使用しているONUは、NTT西日本のPR-400NEである。我が家版ではこれに無線LANカードがセットされており、これ一台でLANポートハブ(4個)や無線LAN親局機能を備えている。
https://www.ntt-west.co.jp/kiki/download/flets/pr400ne/
外部回線に繋いだルータに家で行なう事と言えば、パソコンからのプロバイダ接続設定やポート設定・無線親局機能の調整であるが、これで少々手間取った点をメモっておく。
まず、家人が通話中でない事を確認したのち、ONU本体の正面にある『再起動・初期化スイッチ』を押し、本体を再起動させる。
ONUの側面には、無線接続する際のSSIDやパスワードなどが記されたシールが貼り付けてあるので、この内容をメモしておく。起動しておいてあるパソコンからは、Wi-Fi設定ツールから感知し表示されている無線チャンネルのうちから当該SSIDを見つけ、先ほどメモしたパスワードを入力して接続を試みる。
(なお、パソコン本体とONUをLANケーブルで直結した場合は、上記の『†』節部分の手順は省略できる)
この状態でONUとパソコンが通信できる事を確認したら、とりあえず『お約束』のURLである http://192.168.1.1/ をブラウザのURL欄に入力。すると「userとパスワードの入力を求めています」のモーダルウィンドウ表示が浮かぶので、リセットを掛けたあと有効になるIDとパスワード(詳細は上記URLからダウンロードできる説明書を参照)をウィンドウ欄に入力すると、各種設定モード画面に辿り着く。

ただし自分の場合は、今回のLubuntu(※LinuxGUIディストリビューションのうちのUbuntuの、軽量版)18.04-LTSからの設定だったので、メーカーなどであらかじめ用意してある事の多いWindows/MacOS用の設定ツールが使えなかったため、手動での設定を行なった。が、基本的な(ブラウザ上からの)操作や調整は、他のOSでの操作とそう変わらない。

さて、そうこうしているうちに、宅配便でタブレットが到着した。ビッグローブNEC系のプロバイダという事もあり、届いたのはLavieタブレット(8インチ・Android 9.0)である。ただし、紙の説明書に書かれていたのは「してはいけない注意事項」がほとんどで、肝心の「電源を投入してから行う事」に関しては、ウェブサイトを参照する形であった。電源を入れて最初にすべき事は『Googleアカウントの設定(無い場合は新規作成)』とWi-Fi接続設定で、それができたらまずは内蔵ソフトのアップデートをかける。
あとはGoogle Playストアでめぼしいソフトを導入していくのだが、その際にひとつ困ったのが「LINE」であった。すでに母が所有のAndroidスマホのアカウントは、『引き継ぎ』は出来てもタブレットとの『共有』ができない。やむなくここで、紐付け電話番号として「固定電話の番号(この場合、SMS認証が使えないので自動音声返答でのワンタイムパスワードを発行してもらう)」を使い、アカウント作成に成功した。
もちろん、このタブレットにたとえば、データSIM契約などをすれば家庭から持ち出した使い方も可能なわけだが、あくまでこのタブレットの所有権は母にあるので、それ以上の好き勝手な事は出来ないのが、やや勿体無いと思ってしまう私であった。

親父のこと

【おことわり:この記事は2020年4月に終了した『はてなグループ日記』サービスに掲載されていたものの再録です】

よくよく考えれば、父のことは断片的にしか触れてこなかった気がする。『厳父』という言葉はすでに死語になって久しいが、俺が小さい頃の父はまさしくそういうイメージだった。
俺の父は昭和15年(1940年)の初夏、鹿児島県の東半分・大隅半島で産まれた。ともに何人かきょうだいが居たはずだが、俺は聞きそびれた。なお、姉(私から見れば伯母)は存命である。父の父は軍医だったが、南方戦線への帯同の際にビルマ(現ミャンマー)で負傷兵の救護所への爆撃で命を落とした。ゆえに子供時代の父(や伯母)は、高校教師である母の手で育てられた。
しかしその彼女も我が父が高校生の頃に病で倒れ、以後の父達きょうだいは親戚を『たらい回し』にされたようである。ただそれ以外でも、本家などを合わせた親戚一同が鹿児島に居た事で大学の学費は奨学金でどうにか賄えた(※当時の国立大学の学費は、現在の水準より遥かに安かった)ようである。
ちなみに父は、俺たちきょうだいが幼い頃には自らの出身高校(進学校)や大学をやたらと引き合いに出し、「だから、お前らもガンバレ」と叱咤激励するのが常であったが、俺にとってはウザい事この上無かった思い出しか無い。
大学を卒業した後の父は、昭和40年代当時は日本の花形産業のひとつであった繊維産業企業の愛知にある工場に着任する。その時、山陰からの集団就職組に属していた私の母と出会い、やがて家庭を持つに至った。時に、父30歳・母25歳の頃のことである。その後の父は富山・大阪本社・富山・大阪・インドネシア・高知・姫路と転勤を繰り返していった。ただその際、海外赴任は別にして、昭和も末期になると繊維産業は全体的に斜陽となり『工場整理』・つまり(本来の意味での)リストラのために赴任するという、当初の当人の意気込みとはいささか異なる任務が続く事となる。特に昭和60(1985)年から丸3年のインドネシア・スラバヤへの技術指導員として赴任した際は、それこそ「全く現地語を知らない」状況でのもので、まして当時は現在のようにインターネットがあるわけでもなく、現地の事を調べるには大変な苦労があったであろう事は想像に難くない。そして還暦の声が近くなった頃、会社側の計らいによる『出向』という名の片道切符で、梅田の運送会社の配車係をしばらく勤め、平成16年(2004年・64歳)に悠々自適の身となった。

…と、ここでハッピーリタイヤとなるハズだったのが、今から思うと2009年前後から、それまでは好きだった俳句や盆栽・栽培などの園芸や版画などへの興味を失い、徐々に辻褄の合わない言動が目立ち始めるようになる。認知症を発症し始めたのだ。
もっとも、思い当たる兆候は幾つもあった。父は60代までかなりのヘビースモーカー(銘柄はセブンスター・60代の数年間はマイルドセブンに切替え)であり、かつビール好きであった。70代に入ってからたばこは『吸えなくなった』ものの、それでもしばらくのうちは酒量は衰えず、一回の晩酌で発泡酒500ml+350mlを飲む事が珍しくなかった。これらの相乗効果が、やがて脳の微細な血管の硬化や血栓の形成を招き、側頭葉(※言葉を聞いて解釈・理解する部位)へのダメージから認知症へ至ったのではないか、と俺と母は推測している。
ちなみにこの時点で、俺を含めたきょうだい3人は全員、実家である大阪を離れている。また、母は2017年まで外勤め続きであった。そのため、母が退職後の父の認知症の発症に気づくのが、やや遅れた面は否めない。
父の発症を確信する出来事が発生したのは、2011年春に発生した東日本大震災を伝えるテレビ画面を、父母が見ていた時の事であった。画面には悲惨な光景が写し出され、普通の感性の人であれば目を覆ったり・または言葉を失うようなところで、母曰く「まるで、お笑い芸人が転んだりした時の客席のような反応」を父は示したのだとか。これにはさすがにギョッとした母は、父をムリヤリに病院へ連れていったところ『長谷川式検査』や『時計描画テスト』(いずれも認知症の症状をチェックする有名な検査)を、父はクリアできなかった。
折しも「望んだ事は最悪のタイミングでやってくる」とはよく言ったもので、2年後には俺に『姪』ができた。父に(そして母に)とっては、長らく望んでいた初孫である。が、残念ながら今の父には、その小さい娘の写真が自分の孫で関東に住んでいる、という事をどうも理解していないフシがあるのが悲しい。
余談になるが、父がマトモな頃は格言の類いが好きであった。えてしてそういうタイプは『説教好き』でもある。いわく、『馬を泉に連れてはいけるが、水を飲むかどうかは馬次第だ』、『他人よりまず我が身を律せよ』・『下手な考え休むに似たり』『ひとに迷惑を掛けない大人になれ』など。
しかしそれが認知症の現在の父自身に見事に当てはまってるという状況は、なんとも壮大なブーメランというか皮肉であるとしか言いようがない。

【付記】
2023年2月8日昼、居室で横たわる父を母と見舞い、父の耳元で二言三言語り掛けて去ったしばらくのち、施設から父が没した連絡が入りました。

はてなブログは4周年! とのことで

ども、guldeenです。こちら・はてなブログの方の更新は、すっかりご無沙汰になっておりましたm(_ _)m

さて表題にもありますように、はてなの新規ブログサービスが4周年記念ということで、キャンペーンに応募するお題の

「4年間で変わったこと、変わらないこと」

について、3つほど綴ってみたいと思います。


[親戚が増えた]

きょうだい夫婦に娘が生まれた事で、伯父となりました。出産直後のサルのような(失礼!)写メを送って来られた時は「あ、産まれたんだ」くらいの感情でしたが、里帰りで連れてくる度にすくすくと育つその姿を見ると、子育てって大変ながらも「手応えのある行為」なんだな、という感想を持つに至りました。
それにしても、ウェブで見聞きしてた『子供のアンパンマン好き』は、彼女でもやはり鉄板だなー。

[父がボケた]

さてその「孫ができた」はずの我が父と母ですが、ちょうどそれと前後する形で、父が認知症を発症した事が判明しました…。
たとえば、トイレを終えた後の電灯の消忘れなどは今までもあったものの、しばらくはパソコンで囲碁を打ったりメールで旧友と連絡を取り合ったり、晴れた日には貸し農園でミニトマトを栽培したりと悠々自適の生活だったのですが、しだいにそれらに関心を示さなくなり、母いわく(理由は次節で後述)明らかに『尋常ではない』反応をテレビ番組の鑑賞中に示したことがきっかけとなって、大学病院へ連れて行き精密検査を受けさせた結果、認知症の典型症状を示したとのこと。

思い当たる原因としてですが、還暦まで至る長年の喫煙(現在は禁煙)や、現在も欠かさない晩酌としての缶ビール(アルミ缶がアルツハイマー認知症の遠因とも言われますが)などが挙げられます。いずれにせよCTスキャンなどによって、『側頭葉』などの部位にダメージがある事は判明しています。

それ以降、アリセプトなどを毎日服用させる必要があるのに、ここ1年は服薬を嫌うようになったのに加えて、
・入浴や歯磨きをサボる
・今日の日付を思い出せない
・ガスレンジに火を掛けた事を忘れる
・電話を『番号を見ながら』ですら掛けられない
・とうぜん、券売機で切符が買えない
・たまに、私が誰であるかを忘れる(!)
・そしてついに「自分の名前を書く事が困難」になる
…といった症状が目立つなど、介護自立支援の指標でいうと『Ⅱb』と『Ⅲa』の境目にいる状況です。この調子だと、父は果たしてあと何年持つのだろう…と、母とは溜息混じりに語り合う毎日を過ごしております。

[和歌山から大阪に舞い戻る]

もともと、私は大阪市での生活が長い人です。会社員時代の父の転勤に伴う引越しはあったものの、それは小四~中一の間だけで、以後は一貫して大阪市内で暮らしてきました。
転機となったのは2004年のことで、ちょうどニート期間を過ぎても職に恵まれず、家庭内部の空気がギスギスしていた頃。ウェブで色々と打開策を調べていた処に、地方部での就労・いわゆる「Iターン」募集がある事を知りました。
その後は大阪市内での各地方事務所の案内・そして各県の就労団体の募集や説明会に参加し、最終的には和歌山市での県の各森林組合の合同募集受付へ応募・各種講習を経て、配属されるに至りました。
じつは私にとって、これが人生初の独り暮らし体験(ときに、34歳)でもあったあたり、世間一般に比べるとえらく遅い一人立ちな事を感じました。

その後は、まったくの初挑戦づくしな林業の作業や山地移動に悪戦苦闘した訳ですが、刈払機やチェーンソーなどの運用研修が随時入るとはいえ、斜面で刃物を使ったり巨木を倒す関係上、安全確保という点では何度かヒヤヒヤしたのを覚えています。
やがて、体力面ほか「周囲とのコミュニケーション」に色々な点で難を感じた結果、わずか2年という短い期間ですが林業生活に別れを告げる事を決意しました。

この時点(2006年夏)で大阪に戻る選択肢も勿論あったのですが、両親にはなかなかそれを言い出せず、なかば惰性の形で隣接する紀伊田辺市内に居着きながら仕事探しを行い、結果としては観光産業が豊富な南紀白浜温泉での観光写真業にありつく事となりました。

ただ、ここでの仕事はそれほど時給が良いわけでもなく、ハッキリ言えば『腰掛け』のつもりでした。しかしそこそこの忙しさにかまけていた故に『ズルズルと』数年間も続き、また年齢もいつしか不惑を越え、四季を通して風光明媚な光景の中で景色とは裏腹に自分は悶々と過ごす日々を送る事となります。

そんな中、自分としては近年増えつつある中国人観光客への対応などを進めていた今年の春先の折りのこと、当地を訪れた某団体客へのアプローチに失敗したことが偶然にも悪い形で話がこじれる結果となり(この辺り、諸方面への配慮ゆえに詳しく書けませんのでお察し下さい)、事態を重く見た上司との協議した末に退職(なお、一時金無し)と相成ったわけです。

かくして、実に11年間に渡る和歌山での独り暮らしを終えての大阪への帰還は、最初の頃同様にスカンピン・のみならずトシだけは徒らに食った、まさしく『ワープア中年』としてのものでした。
ただ同時に、それは『認知症となり、余生も恐らくあと僅か』な父との対面の日々の始まりでもあった事を、ほどなくして自分は知るのです。
すでに『5歳児なみ』の判断能力しか残っていない父を、どうにかなだめ・すかしつつの毎日は、かつて母が我々兄弟らをそうしたであろうレベルの面倒くささではありますが、自分にとってはせっかくの『最後の親孝行』だと割り切り、接しております。


いやー、気付けばかなりの文量になってしまいましたね。父が後期高齢者になる前にボケ始めたのは、我が家にとっては計算外の事態でしたし、なにより私自身の次の職も現時点ではまだ決まっていない状況です。
が、何にせよ「Life goes on」・人生は生きる限り続いていくわけですし、立ち止まらずに進み続ける姿勢を保つことは、だいじ。

デジイチに関する覚え書き…の補足


デジイチに関する覚え書き - guldeenのはてブロ

まさかのブクマ数に、書いた側の自分としても、かなり驚いております。(゚Д゚;)
お昼ごろに見たら、ホッテントリに入ってたりとかで、ちょっとこっ恥ずかしい…。


その前に、少しだけ言いわけ。


id:kiya2015 ブラック企業で有名なキヤノンの製品を薦めるあなたは二度と労働関係のブックマークをしないでいただきたいですね。

先のエントリーは『最初に出されていた記事へのアタッチ』という形での執筆なので、よく最後まで読めば、必ずしも私が“特に”強くキヤノン推しというわけで無いのは、自明だと思ったのですが…。思い入れがある方は、べつにニコンでもよろしいかと、自分は思いますよ。あとは…そうですな、株をたくさん買って、株主総会ででもアクションを起こします?ホリエモンのように?
ちなみに大別しますと、国内生産率が高めのキヤノン(※先のエントリに挙げたレンズ2本は、マレーシア製)・開発は国内で製造は海外(タイが拠点・ただし、ちかぢか移転を検討)がメインのニコン、というのはあります。


では、いろいろとレスって行きます。

  • id:kagobon 50mmはデフォだけど、もう1本は28mmだと思います。理由は50mmの約半分で、中古市場もこなれてるから。
  • id:Beno 50mm単焦点ともう1つ組み合わせるなら28〜35mmぐらいの単にしといた方がキャラクター被らなくていいかなとは思う(APS-C基準で)
    →28mmか35mmなのは、実質的な画角が1.5-1.6倍になるAPS-C機の事も考えたらそうですね。ただし新品を選ぶと、単焦点の場合はどうしても高くなります(それをわざわざ選ぶ時点で、すでに「写すこだわり」があるということだから)。なので、キヤノンならパンケーキEF40mm/F2.8が実売1.6万なので、“撒き餌”な50/1.8IIとともに示してみたわけです。
  • id:hungchang 撮影素子は本当大事。速写でいえば操作性も重要。一眼なのに絞り調整にボタンを押しながらダイヤルを回さなきゃいけないような糞デザインは滅んでしまえばいいのに
    →中級機以上なら、絞り・シャッターが前後のダイヤルでバラバラに指定できるんですけどねー。これも、初期設定ではニコンが前/後が絞り・シャッター|キヤノンが前/後でシャッター・絞りと、逆。
  • id:miruisi 交換レンズ20xxとか読んで、使いたい(かつ購入可能な金額の)レンズがあるカメラにすると良いと思います。
    →でもお高いんですよね…、100mm以上の望遠や魚眼・とくに単焦点レンズとかは。あまり頻繁に使わないのであれば、必要な時だけ『レンタル』で済ます、というテは十分にアリかと。
  • id:asuka0801 この手の記事でキヤノン以外あまり見たことない
    →技術的な問題を言うと、現行の機種・マウントでは、ニコンのF・キヤノンのEF・ソニー/ミノルタのA(アルファ)・ペンタックス/リコーのK(いずれも、ミラーレスは除く)などがありまして、最初からAFや絞り制御が規定されている規格はアルファやEF・“付け足し”で対応してるのがFやK(KA・KAf)など。ほかにはニコンの場合、一口にAF対応レンズと言っても数種類が存在し、本体とレンズの組合せ(とくに中古で買った場合など)によってはAF動作しない例も。これはまた、項を改めて解説するつもりです。
  • id:okachan_man 単焦点は正義!
    →逆光は勝利!ピーカン不許可!世はなべて3分の1!頭上の空白は敵だ!…スミマセン(^^; でもこの「たわば先輩」(究極超人あ~る)のセリフって、ちゃんと写真構図を考えながら撮る人にとっては、言われてすぐピンと来るものですナ。
    そもそも1960年代までは、カメラのレンズは単焦点がふつうでした(というか、技術的に製作が困難だった)。あと単焦点レンズは「開放F値が明るい・ファインダー越しの光景が見やすい」というのも、大きな特徴。
  • id:nephro EF50mmはいい。コスパ最強
  • id:mikanyama-c むかし50mmレンズは望遠的にも広角的にも使えると言って入門用に薦められたものですが確かに自分が望遠好きなのか広角好きなのか適正が見えるのでいいかもしれないです。
  • id:Hiro0138 標準添付のレンズから一歩を踏み出そうとするとやっぱこの撒き餌レンズになるな(で、沼にハマって行くと)
  • id:mark_temper 50mm持ってるけど単焦点いまいち使いこなせてない。いつも使いやすい標準ズームになってしまう
  • id:kuniharumaki キヤノンの撒き餌はやっすいなぁ。でも、APS-Cの50mm(換算75mm)は広角コンデジ慣れした人には長すぎるきらいもあって、気軽にお勧めしづらい。
  • id:trini デジイチ買ったら写真が上手くなる、大間違い。レンズで差が出る EF50mm はガチ、オススメ
    →50mmですが、現在では主流のAPS-C機で使うと75-80mm相当(中望遠)になっちゃうので、使う場面をやや選ぶ事になるのが「クセ玉」ですよね…。あと、EF50mmは絞り羽根が5枚なので、背景ボケが五角形になる事があるのに注意が必要。
  • id:neo16tea 言ってることはわかりますが、文字ばっかりだとちょっとおなかいっぱい。作例が欲しいです!
    →ごめんよごめんよ(;´д`) でも他人様の撮った画像を引用してくると、クレームの元になるので…。あとで作例を探して(or作って)きます。
  • id:longroof ニコナーにもコスパピカイチな50mm/F1.8あるよねー♡長男がレンズを舐めないようになったらフルサイズに50mm/F1.4を(;´Д`)ハァハァ
    →室内とかだと、開放F値が2未満のレンズはピントが合いやすいので重宝しますわね。ただ、フルサイズでも50mmという画角は想像するほど広くもないので、ファインダーと周囲の両方を見ながら・もしくはライブビュー撮影を活用できればよろしいかと。
  • id:mosshm APS-Cだと50/1.8や40/2.8は使いにくいのでは。ここはひとつシグマの30/1.4で。
  • id:fusionstar 最初に買ったシグマの 30mm/F1.4 のおかげでレンズ沼にはまらずにすんでます。
    →うむ、APS-C機向け単焦点なら、30mmという焦点距離はわりと使い回しが効くかと。
  • id:marsrepublic カメラクラスタの人だったのか。
  • id:kskmeuk がるでぃーんさん、カメラやさんだったんだ!!
  • id:mgkiller id: guldeenの人は結構カメラネタでコメントしてるんだけど意外と知らない人が多いんだな
    →あくまで『元』店員ですけどね。ただ、梅田にある某店へ入社するまでカメラについて全く知らなかったワケでは無いですし、わけあって退社してからも一眼カメラ自体は好きなほうです。
  • id:okoppe8 体へのフィット感・取り回し感って結構重要な気がする。手の小さい人は特に。それはそうとブログ進出おめでとうございます。
  • id:rainy_bird わかりやすい!レンズ沼に入らなくてもデジイチが1番イイのはわかるが重さと大きさで敬遠しちゃうんだよなー
    →KISSやニコンの4桁番台機種(D3xxx・D5xxx・D7xxx)、その他から出てる初級機は、レンズ込みでもじゅうぶん軽いですよ。まずは店頭で、手に取ってみる事をオススメ。
  • id:kk23 レフ機のよさはマニュアル露出マニュアルフォーカスのし易さ、と大きなボケ。最初は中古のD90か50Dのボディに50mmのf1.8を5万円前後で、広角側は今お手持ちのコンデジでどうでしょ。Kissクラスはファインダーが見にくいし
    →さっきD90の仕様を調べましたが、12.3メガピクセル・ほこり除去・ライブビューなら、現在でも特に見劣りしないスペックですナ。あとおっしゃるように、「露出・ピントでのマニュアル操作」のし易さは一眼レフのほうが断然有利。大きな背景ボケを作るも、カリカリに絞り込んだパンフォーカスな風景写真にするのも、自由自在。
  • id:migurin が、ガルディーンさんてスターつけてくれる親切ボットじゃなかったんや!http://d.hatena.ne.jp/kowagari/20090521/1242913261こういう風に専門用語省いて断定的に話してくれないと、僕みたいな素人は迷うんすよ。決められない。
    →私をいったい、何だと思っていたのだw それはそうと、テラヤマさんの「ぽんぽんと決め付けてるのに押し付けがましくない」文体は、参考になります。
  • id:okra2 すぐ取り出してすぐ撮影できて、操作が素早くできるスナップショットカメラとしてサイバーショットU10の正統後継をいまだに待ち望んでるよ。スマホのやつは起動に時間掛かり過ぎ。
    →まぁだから、そこが撮影専用機としての利点ですよね。
  • id:frkw2004 素人考えで、どうしてビデオカメラとカメラが別々なの? というのはあるな。デジタルなんだし、ひとつの機種で動画も静止画もまかなうのが合理的じゃないか。
    →ビデオカメラで問われるのが、『白飛び』の防止と『音量調節』ですね。風切り音の防止など。あと、地デジ/ハイビジョン放送が始まるまで、ビデオカメラは旧来の放送方式に由来する制約がありまして、それが外れたのがごく近年。ただし、おっしゃるように今後は、写真用カメラと動画用カメラの境目は、次第に曖昧なものになっていくとは思われます。実際、ニコンやキヤノンの中級機以上の動画撮影機能を使って、上映に耐えうる画質の映画撮影が広まりつつありますので。
  • id:munetak 『フルサイズ機にはAPS-C機専用レンズは嵌まらないので、』ニコンならとりあえずは嵌る!
    →嵌まらないわけじゃないですが、『ケラレ』が発生しますよね…(汗)こちらのブログにありますが、こんな風に「周囲にワクが」できた写真になっちゃいます。http://plaster.exblog.jp/7555250/
  • id:oakrw キャノンはフィルム時代に使ったけどモデルチェンジに辟易して止めました。ニコンに移ったけど、仕事関係で嫌な奴らばかりだったので絶縁しました。一眼重過ぎるのでコンパクト使ってましたが、今はNEXで満足です。
    →まぁ『カメコ』の要素のある人って(私も含めてですが)、どこか偏屈な部分がありますからね…(汗) でも、カメラ自体に罪は無いヨー。
  • id:wow64 最近のは一眼というわりにロクなファインダーが付いてない。目の悪い年寄り向けだからしょうがないけどEVFとか背面液晶で撮影とかうんざりする。
    →たとえばソニーやパナなどは古くから業務用ビデオカメラのシェアが高いメーカーでもあるので、電子ビューファインダー(EVF)にする事に抵抗が無いんでしょうなぁ。とか考えたり。ちなみに自分は、Hi8ビデオカメラを色々使ってた人なので、EVFである事自体にはそれほどムカつかないです。
  • id:julajp id:yohichidate id:xevra id:yamadar id:masabossa id:tetsuo2gou (勝手にまとめてスミマセン)
    →基本的に『そこに撮りたいものがある』、という動機こそが、結局は大事な気が自分もします。被写体がある所に居なければ、どんな高性能なカメラを持ってても「宝の持ち腐れ」なわけですから。


ここから追記です

  • id:cinefuk ボケの大きい写真はスマホで撮れないから、カメラ専用機の需要が出てくるね。大事なのはセンサの大きさ、レンズの明るさと焦点距離。フルサイズ一眼レフに明るいf1.4~f1.8レンズは鉄板だけど、持ち歩ける大きさ・重さ
    →最近は、アプリで擬似的に背景ぼかしとかができる機種もあるようですナ。ただ開放絞りがF2未満のレンズは明るく見やすいぶん、被写界深度が浅いので(狙った所へのピントは素早く合うものの)開放のままでは扱いづらいのも事実。作例を見ても、F4より絞って使う例が実際は多いですよね。
  • id:youchins 40mmパンケーキおすすめ、なぜならいまならキャッシュバックがあるから。2万弱のレンズで5000円のキャッシュバックって素敵。優等生過ぎてカメラの勉強という意味ではアレかもしれませんが。
    →キャッシュバックキャンペーンは5月5日購入分までだ!いそげ!APS-C機ならちょい望遠(64mm相当)・フルサイズ機ならやや広角ぎみで、本体を買い換えても使えるレンズなので、長く親しめるかと。
  • id:Shir センサー厨はNikon一択・・・というか今の時代のデジイチでCanonが許されるのはエントリー機まででだと思うんです。
    →どうスかねぇ。CMOSセンサー機の画像は、昔は「“のっぺり・平面的な描写”」とか言われてましたが。
  • id:mk16 一方、過去には完全マニュアル一眼で撮影してた事もありレンズのスペックにも詳しいうちの親父は、今ではLUMIX DMC-TZ30使い。(購入動機:20倍ズームで広角側が24mm)
    →20倍ズームもさりながら手ブレ補正、さらに撮影モードがオート・P・A・S・Mと一通り揃ってるのは◎。撮像素子が1/2.33型なのが唯一の不安点くらいか。
  • id:sander 初心者に中古を薦めにくいのはトラブルの切り分けが難しいから。やっすいレンズセット(出来ればWレンズ)から追加で単焦点他のレンズ沼でボディ買い替えが清く正しいはまり道のような気がするw
    →店側で数ヶ月保証してくれるなら、中古でもアリなんですけどねー。ただでも量産効果の恩恵で、ここ最近はキットレンズも手ブレ補正付きになってるのは、初心者には心強い点。

そして、その他声援コメントを寄せていただいた皆様も含めまして、気付けば500ブクマ超という、初“はてブロ”にしては『ご祝儀』的注目を頂きましたことを、ここで御礼申し上げます。ありがとうございます m(_ _)m