guldeenのはてブロ

まとめて言及したい記事を書く際に、ここを使う予定です。

《おことわり》この記事は、2004-07-02に旧『はてなダイアリー』で公開していた記事の再録です。



 クルマは南部町(みなべちょう)を抜け、国道42号線を北上していた。左手側から霞がかった太平洋が傾いた陽の光を反射させ、一枚の絵はがきのような光景を見せていた。
 カーステからは、ゆったりとしたテンポの「タイタニック」のサントラが流れてくる。


──ひとつ訊くけどさ、gulちゃん(仮名)の成りたいのって、結局ナンなんよ?
 そうたずねてきたのは、新規林業従事者の事前研修で、同じ部屋に泊り掛けになったMさんだった。
 車の所有者であるWさんが、上富田町(かみとんだちょう)の朝来(あっそ)から和歌山を経由して神戸まで帰るというので、よければという事でMさんと私がお願いをして同乗させてもらったのだ。


──なんやさっきから聞いてたら、gulちゃんって押してくる人には弱いし、女性に対してはえらく潔癖症やし、そのわりに親には未だに依存してるし、人付き合いもそんなに巧くないみたいやし…、ホンマに大丈夫かぁ?
 口調はけっして高圧的ではないのだが、Mさんのひとつひとつの言葉が耳に痛い。
──今度の合宿で、僕ら5人が一緒に泊まった時から見ててんけど、gulちゃんってどうも単独プレーが多いタイプって気がするのよ。せっかくやからってUさんが晩メシに誘ってくれた時でもキミ来ぇへんかったし、他でも一歩遅れてってる部分があったやろ? そういう部分って、いずれ「付き合いづらいタイプやなー」って評価になってまうんやで?
 よく観察しているなぁと感心させられた反面、同時にそういう部分で人間は評価されるのかという事にも、あらためて気付かされた。


──講義ん中で講師の先生も言うてはったけど、林業いうのは「チームワーク」やねん。それは、仕事の内容がそれなりに危険やからやけど、林業って仕事する場所じたいも田舎やから、仕事でもプライベートな面でも結局は『人付き合い』のセンスが重要になってくる。そういう場所ってのは、皆が助け合わな生きていかれへんからやけどな。
 せやけど、今回のgulちゃんの行動とか見てたら、そこらへんがなんかごっつ(=とても)不安な感じがするんよ。地元との付き合いが悪かったら、言い方悪いけどそれこそ「村八分」になってまうし。そないなったら、ホンマ最悪やで?
 そこらへんは、オレも自分で店やってた時によぉ分かった。昔、お好みとかキャベツ焼きの店出してたんやけど、時間過ぎてもぅたやつって焦げるやろ? それを棄てたらロス(損失)になるけど、でも勿体無いからって客に焦げたのを出したら、店としては失格やねん。そん時はそこが分かってへんかったから、店もつぶれてもうた。自分が何かした時は、それで相手がどう思うかって考えながら動かなアカン。


 『タイタニック』のラストシーンに掛かるボーカル曲が、車内に流れ始めた。
 レガシイは、アップダウンを繰り返す42号線を北上し続ける。あい変わらず左手には、白くもやった夕日が海面上に映っている。


──もう一つえぇか? 相手がどう思うか、ってのもたしかに大事やねんけど、それ以上に大事なんは最終的には自分が何になりたいんや、っていう「想い」やで。
 オレが脱サラちゅうか、ヨメさんとか使うて店出そうって思うたんは、売れもせん商品の営業に行くのがアホらしいて感じてたんと、いまの自分やったら会社に頼らんでも生きてけるわ、って自負があったからやけどな。一時期は、地域のグルメ雑誌にも載ったんやで? でもそこが、頂点やったわ。地代とか高うなるわ客は来ぇへんわで、けっきょく店閉めんならん羽目になった。
──ただ今回の林業の応募でも、オレにはもう一つの夢があんねん。これから都会では、屋上緑化とかビオトープっちゅう形で緑を入れる動きがある。ちゃ~んと、社会に貢献もできるビジネスやで。アカンかっても、林業のノウハウってのは造園業とかに応用でけんねん。オレはそこまで見据えた上で、今回の林業募集に応募したんよ。
 ……gulちゃんはそこらへん、どやのん?

 自分には、返す言葉が無かった。そこまで深く考えていたわけではないのが、正直なところだったからだ。


──周りの事を考えるのんってそれはそれで大切な事やけど、自分にウソつきながら行動してたらしんどいで?イヤな事はイヤ・できることはできる・でけへん事はでけへんって、まず正直に周囲にも言わな。な~んかキミの動機聞いてたら、結局は「親の為」「周りの為」とかって、誰かの“せい”にしてるのんと変わらへんがな。どんな事するにしたかて、結局は自分が幸せになろうていうのが目的で、そのために努力するいうところから始めな、何もならんのんと違う?


 車中の音楽が、エリック・クラプトンLaylaに変わった。
 体の奥のほうからじわりと溢れるものが、ふと、私の目を濡らした。

※7/5 追記:高野山熊野古道が、ユネスコ世界遺産に登録
 http://www.pref.wakayama.lg.jp/sekaiisan/


ノートパソコン備品入手でのてんまつ

いまメインで使用しているノートパソコン・acer Aspire5750の、ACアダプターのケーブル部に内部断線の疑いがあったので、新たに入手したACアダプターに交換してみた。…のはいいのだが、充電中に電源ランプが何回も点滅したりと不調の頻発は止まらなかったので、このたび互換バッテリーの購入を決断したのであった。
(そもそも、ジャンク品としてのノートパソコンを購入していた時点で、特にノートパソコンの消耗品でもあるバッテリー――2011年1月製――は、どのみち新品に早々に交換すべきであったとは言える)
このACアダプターだが、入手した際に元々付属してたのはLITEON製の三極ACコードの物であった。それが、先ほど述べたようにアダプター部とコネクタープラグ部分をつなぐケーブル部分に(おそらく)不調をきたし、充電がされたりされなかったり、という症状を呈してきた。ので、困った時のネット通販とばかりに、楽天市場に出店している業者からACアダプターを取り寄せた次第であった。

そして今回、ノートパソコン用互換バッテリーが手ごろな値段で売出されていたため、同じ店舗から入金・注文してみたのだが、金曜の注文からの土日休業日を挟んで月曜に返って来たのは、「該当商品在庫切れにつき注文キャンセル・返金」のメールであった。
お金に関しては返金されるなら仕方ない事だが、そうなると不安定な挙動を示し続けるバッテリーを装着しての各種作業にどうにも我慢ならず、ここで多少のギャンブル的要素は承知の上で(最近は質の良くない業者も多い事で知られる)「アマゾン出店業者」(アマゾン・マーケットプレイス)の販売から漁ってみたのであった。

今回アマゾンで購入したのは、acerのAspireなどに対応の6セル(※一般的に、ノートパソコンなど体積の在る機器の脱着式電池は、単三電池と外形がほぼ等しいリチウムイオン電池をパッケージの中で直列に溶着してある例が多く、パッケージ内に同梱される電流制御回路と接続されている。このリチウムイオン電池の個数を『セル』と呼ぶ)タイプである。
なお、世の中にはこのセル電池だけを修理パーツとして入手し、DIYでの交換を行なう修理業者や個人も居るようだが、ノートパソコンのメーカーによってはバッテリーの電流制御回路で充電回数や最大容量をカウントするものがある。つまり、電池セルだけを交換するだけでは不十分な例もあるそうなので、互換品を買う場合でも『構成部品をメーカー品から一部だけを入れ替えたタイプ』ではない「工場生産モデル」を選ぶのが無難であろう、とは感じる。
幸いにも私が選んだマーケットプレイス業者は、他の購入者の評価を見ると誠実な対応や品質管理で知られる所だったようで、発送も日本国内(埼玉県)であったため迅速であった。

ここで、送られてきた小ぶりな小包には「購入直後や長い間バッテリーを使わなかった時は、まず満充電・放電を2~3回行なって、通常の用途ではバッテリーの残容量が20%を切らないように電源断・または速やかな充電を行なう」との、手順が細かく書かれた注意書きが添えられていた。ので、ただいま現在進行形でのセッティングの真っ只中である。

あとでモメないための『遺言書』に関し色々思う事

突然ですが皆さん、「遺言書」を作った事はあるでしょうか。

人間は日ごろ、漠然とですが「自分が明日にもそうそう死ぬ事はないだろうし、もしそうなったとしても、死んだら死んだでそれまでの話だし~」と考える生き物ですが、いざ実際に事故や急病に遭って意識が無い・あるいは急死してしまった場合は、遺された周囲の人たちには現実問題としてかなりの負担が掛かるものです。
我が家の場合を例に出しますが、過去日記(◆)にも書いているとおり、私が実家から10年ほど離れて仕事・生活をして戻ってみたところ、父はすっかり『ボケて』おりました。
その頃まだ勤めていた母も、父が昼間にどういう行動をしていたかをあまり把握していなかったせいで、財産管理や滞納税金関係がそれこそ山のように積み重なっており、あとから連日のように(私が)役所通いした経験があります。
(※ ◆ https://guldeen.hatenablog.com/entry/2020/05/08/180807 )
ただこの場合は、不幸中の幸いというか、その前後から認知症の兆候が見え始めていた父をなかば急かす形で、母が資産目録を作らせておりました(※)。そのため、その後の区役所での行政相談や家庭裁判所での成年後見人審判の手続きでは、大いに役立ちました。
(※なお表紙には『遺書』と記され、自筆で執筆・表紙に押印こそしてあったものの、法的な遺言書としては効力は無いとのことでした by 司法書士)


一方で、こういう『遺言執筆イベント』を家族で行なってらっしゃる方も居ます。さすがに世間的にはレアケースでしょうが、少なくとも「財産や交流関係でのトラブル」を最小限にするという点では、ナイスアイデアと申せましょう。
>僕と家族の「遺書」の話 : web漫画家やしろあずきの日常
>http://yashiroazuki.blog.jp/archives/19552740.html


またそれほどでもない単純なケースとして、「未成年の子が居る夫婦で、夫が死後は妻に全財産を託す」などの場合は、法務局に3900円を払って遺言書を保管してもらい、『預り証』を発行してもらう(死後には家族が、法務局に出向き遺言を確認して各種名義変更などの手続きを行う)方法があるそうです。
>遺言書保管制度が「普通の家庭」にも役立つ理由
>https://toyokeizai.net/articles/-/361190


ちなみに私の場合、先日の『尿管結石』の痛みで七転八倒した際は、頭に様々な考えがよぎったのも事実です。まぁ初回の痛み以降でのウェブ検索で、「結石での痛みは死ぬほどつらいものの、その痛みで死ぬことはない」とは知っていたのも事実ですが。
>https://guldeen.hatenablog.com/entry/2020/07/27/231347


ただ、私のような者がどちらかというと懸念する事態といえば、そう。『デジタル縁』の問題です。
近年、LINEなどの1対1での関係のものからFacebookツイッターなど1対他のSNS・ブログなど、オンラインでその人の意思を伝える・それに反応のある、といったウェブサービス上の個人メディアは、すでに日常生活の一部でもあり、時には大手メディアが各種報道の際に引用する存在ともなっています。
それほどでなくても、『特定の分野における著名人』の発表や生活動向(と称する日々の無駄話など)から、時にはその方の訃報を耳にする例も、21世紀以降では珍しくない話です。


さて問題は、「管理者の死後、誰がそのブログを管理するのか・訃報を皆に伝えるのか」という点。
この点では実名ブログ・SNSを展開するFacebookが一歩抜きんでいて、「追悼アカウント」という制度・ないしは普段から「管理アカウントを複数設定する」などの仕組みが整備されています。
>https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/fb-memorialization

Facebook以外のSNSなどでは、故人となったアカウント運用者の遺したデータに関しては「その都度、法的に協議する」と規定している所が多いようですが、一方で『オンライン口座』など財産に直結するウェブサービスに関しては、重要になってくるのが「アクセス専用のソフト・ID・パスワード」の組合せです。

これらパスワードに関しては、年配者であれば物理的なメモ帳のたぐいに書き記している例は案外と多く、一方で若年~ヘビーユーザー層ほど「すらすら記憶している・あるいはワンストップ形式で集約している」ため、結果的にアクシデントが発生した際に「遺された家族は、パソコンにそれほど詳しいわけでもないので、各種の『デジタル遺品』に手が出せない・故人の知り合いへの連絡も取れない」状況に陥りがちではあります。

自分もこれまで、「作ったはいいが、結果的に休眠口座になっている金融機関の通帳」やウェブサービスのアカウントなどが多々ありますから、それらに関して万一の事態に、(遠方に住む者も多い)家族や親族がどこまで干渉・ないし処分できるものかと思うと、いささか心もとない物があるのは偽らざる事実です。


さらに一歩進んだ話としては、「死後、他人(ひと)に見せたくないデータ」というものもあります。おもに(どちらかというと)性的な方面の思い出や娯楽・情報類に関しては、「死んだ後なら、べつに知られても平気」と開き直れる人以外はやはり、家族(遺族)に対する心証を傷つけたくない=死んだら見られない形で処分してもらいたい、と考えるのは、特に不思議な話ではないでしょう。
その場合でも必要なのは「信頼のおける知人」の存在でしょうし、できればパソコンに・可能なら『オタク文化』に詳しい人が人選として望ましい事は間違いないのですが、そういった方は往々にして『ウェブ繋がり』の関係が多く、地理的には遠く離れた所に住んでらっしゃる例も多いと思われます。

それらを含めた対策として、私が考えうる方法としては↓

  1. SNSでの表アカウントのアカウントとパスワードは、家族が確認できる形で残す
  2. 裏アカウントや裏ブログのアカウント・パスワードは、家族が確認できる書類に『信頼できる人物』の連絡先や連絡手段を記しておき、その人物には容易に解析できる形でキーデータを渡せるように整えておく

などではないか、と思われます。

尿管結石の痛みは、つらい

えー、ツイッターには書いておりますが、この6月以降『尿管結石』をやらかしました。しかも、ほぼ1か月に3度も。
さすがにこのペースはちょっと早すぎるような気がしますが、これもまた、歳を重ねた結果のひとつということなのでしょう。日付は、本年2020年の6/19(金)と6/28(日)と7/23(木・祝)です(←過去ツイートから割り出してます)。
《追記》8/10(月・祝)に、4回目の発症をしました。なんで医院が開いてない時に限って…(-_-;)

最初の発症は朝方の4時ごろ。就寝していたところ突然、左脇腹の攣(つ)る感覚がしだいに大きくなり、やがて耐えがたい痛みとなって間断なく身体を覆う感覚に捕われました。
痛み自体は強いものの、他の感覚自体はまったく正常なので、最初は腸など他の器官の異変を疑ってみました。痛みをこらえつつ、さっき寝ていた布団の上でポチポチとスマホ検索をしてみたところ、痛む部位や痛みの質から自己判断するに、これがいわゆる「結石の痛み」というアレか…と、変に納得したのでした。
もっとも、原因が分かったからといって、痛みが引いたわけではありません。痛みに邪魔されて考えがなかなかまとまらないのを我慢しながら、救急相談ダイヤル・#7119をコールしてみました。
ただしこれはあくまで、救急車を呼ぶべきかどうかの判断をするための「相談」なので、相手がたに直接なにかを対処してはもらえません。近場の病院の位置と電話番号を伝えてもらえただけで、けっきょく今回は結石痛に関しては何の足しにもなりませんでした。
いま思うと、救急搬送される方法を選んでも良かったような気はします。…それはまぁ置いといて。

離れた部屋で寝ていた母が気付いたようで、布団の上でウンウンうなっている息子(=私)の異変を見て声を掛けたはいいものの、状況が分からず「大丈夫?」と心配するばかりでした。
痛みが少し治まったところで、母との朝食に付き合おうとしてみたのですが、サラダのレタスとパンの1枚をかじったあたりで痛みがぶり返してトイレに駆け込み、脇腹の痛みで催された吐き気によりゲーゲーと吐く始末。吐いた際の胃酸で、荒れた口や食道をなだめる意味でうがいをし水を飲み、しばらく布団で臥せつつスマホで近場の泌尿器科を探し、昼頃にようやく痛みが引いたあたりを見計らって、先ほど探し当てた泌尿器科医へと駆け込みました。
受付で渡された問診票に待合室で記入をし、渡された検尿コップを持ちトイレで採尿を行い、診察室ではあお向けに寝て腹部にローションを塗られ、超音波エコー装置で診断を受けました。なお採尿に潜血が見られたことで、「あーこりゃ、典型的な結石だね」と医師からは即断される始末。
ただし、エコーで探った範囲には異物は特に見られず、次回に症状が出た際の鎮痛薬(座薬)を処方されました。
なおその際、「先生、自分はタバコもお酒もしないんですが…」と訊くと、「あー。そういうの、特に関係ないから。結石ってのは、なる時はなる。痛みが出たら、引くまでは座薬とかで抑える以外にない。予防にはとにかく、水分を一日2リットルは摂ってください」と、矢継ぎ早に返事が戻ってきました。
その後、薬局で座薬を3パック受け取って帰宅。母に今回の顛末を説明すると、親戚で結石をわずらった人の体験や、「体質の遺伝」などを聞かされたりしました。その日以降は、マメに水分補給を行なうように心がけ始めました。

…が、そのわずか9日後。前回と同じ、左脇腹が引き攣る痛みを感じて目を覚ます始末。しかも運の悪いことに、この日は日曜日でした。痛みの原因は分かっては居るものの、そもそもこの結石という症状では「痛みが発生しても、何とか我慢するなどしてやり過ごすしか対処のしようがない」というあたり、なかなか絶望的なものがあります。
人間の体というものは、あまりに痛みが続くと釣られて、関係ない胃まで苦しくなるものでして、試しに摂った朝食も洗面所やトイレでえづいて数度ほど吐いておりました。
痛みに苦しみつつ、トイレで先週に処方された座薬をお尻に入れてみるも、1時間経っても痛みは治まらず。この日は昼を越して夕方近くまで、布団での上でうーうーと苦悶の声をあげつつ転げ回っていました。
なおこの時に、スマホを手にいろいろ調べてみたところ、結石でのこの痛みは「女性の生理痛」にも匹敵する痛さだとのこと。
そもそも、結石痛は「尿管が詰まる事によって腎臓などの器官への圧力が高まり、(内臓器官自体は痛みを感じる神経が無いので)周囲の筋肉に痛みが発生する」、という仕組みです。
ただしその結石の詰まりを取る際は「尿で自然に流れ出る」事もあれば、日々の歩行や体育運動(※なわ飛びや階段の昇降運動など)で尿管の石が動く・大き目の石の場合は内視鏡その他で衝撃波を与えて砕く、など、対処や成功例がかなりバラバラな現実を知りました。
そしてやはり、「予防に勝る治療なし・そのためには、水分を1日2リットル採る」旨を、どの医療ウェブサイトでも説いておりました。

その後、ひと月ほどは何事もなかったのですが、このほどの7/23の未明に再び、同じ左脇腹に痛みが来ました。
3度目の発症となるこの日はもう食事をあきらめ、胃まで及ぶむかつきのせいで『水を飲んでみては、トイレや洗面台で吐く』という有り様でした。
前回のウェブ検索では「結石などで痛み症状が起きた際は、温めると尿管などが緩んで石が動きやすいし、痛みも緩和される」との事で、痛い中をこらえてフロに浸かってみました。
そういえば7月は、梅雨もありましたが夜は、暑さ対策で窓を網戸にして寝ていた事もあり、腎臓などの内臓が冷えていたのかもしれません。以降、寝る際には暑さが残る日でも、掛け布団で腹部をガードするようにしてみました。

私のUbuntu(Lubuntu等)とのなれそめ

※追記:その後、Windows7のサポート終了にともなう『Windows10への移行サポート』に乗る形で、Aspire本体に貼られていたプロダクトキーを活用する形で「Windows10のクリーンインストール」を行なえたため、Lubuntu 環境とはここで一旦お別れとなった。
参照・Windows10クリーンインストール方法 | 無償手順も ( https://boxil.jp/beyond/a6758/ )
・Windows10 をクリーンインストールする「2つの方法」( https://www.pasoble.jp/windows/10/clean-install.html )

   * * *

あれは、まだレノボに移管する前のIBM ThinkPad R50e(CeleronM340/1.5GHz→PentiumMに交換/1024x768)を、中古で買い使っていた頃のことである。プリインストールOSであるWindowsXP(SP2・のちSP3にアップグレード/32bit版)のサポート期限が2014年に切れる事を知ったが、開発元であるマイクロソフトからのサポート切れの状態で使うのは、さすがにセキュリティ上からも問題がある。とはいえ、買い換えるにもカネが無いし芸がないので「延命手段としての無料OS」として検討したところから、自分のUbuntu遍歴は始まった。

実は過去にも、フリーOSとしてのLinuxに触れる機会はあった。しかしその頃はまだ、「Windows環境の代わり」として気軽に使えるOSでは無かった。GUIメインで日頃の業務やウェブ利用生活で気軽に使えるOSとして、Linuxのうち主にUbuntuなどがメディアでも取り上げられだしたのは、2010年代に入ってからと記憶している。
そのUbuntuであるが、GUI環境でさまざまなソフトもプリインストールされているだけあって、近年はWindowsからの移行もスムーズ、とは言われる。ただそれは同時に、「多機能=動作が重い」という事でもある。

実際、他のLinuxディストリビューションと比べてもウェブでは「Ubuntu=重い環境」という感想や評価が多く、このThinkPadを中古で購入した身としては、重い負荷をパソコンにあまり掛けたくないのが正直なところである。その条件で色々とウェブ検索で調べてみたところ、「機能を割り切って限定しているため、CD1枚からでも起動できる」Linuxディストリビューションのうちから、linuxBean(リナックスビーン)を選んでインストール・運用してみた。

このlinuxBeanであるが、基本的には32bitOSで、ビルドの目的もまさに「初心者向け・古めのハードウェアの延命」に事実上特化しており、OpenOfficeやウェブブラウザ・メディア再生ソフトなどライトユーザー向けの一通りのソフトは揃っている。
ただ、初期設定でのウェブブラウザがOperaで、現在では対応するウェブサイトやウェブサービスも少数派になっており、くわえて他のブラウザであるGoogleChromeも32bit版は開発やサポートが終了している事を思うと、2019年以降の使い道は限られる感がある。
https://ja.osdn.net/projects/linuxbean/

   * * *

そうこうしてるうちに、世間ではいつの間にかウェブ動画でもHD画質のものは既に当り前・1080p動画も出てきてる中、PentiumM には負荷が高すぎてマトモに再生できない動画が増えてきた状況を鑑みて、けっきょく2019年1月27日に大阪・日本橋の電気街で、6千円のOS無しジャンク扱い中古・acerノートAspire 5750(Core i5-2410M/SATA HDD640GB/SO-DIMM PC3-10600S・2GBx2枚=4GB/バッテリーは2011年1月製)を購入した。
導入したのは、これまた軽量版Ubuntuとして知られるLubuntu(ルブントゥ)・18.04LTS/64bit版である。
https://report.hot-cafe.net/lubuntu-1804-5009

パッケージファイルをダウンロードしてくる→「.ISOファイルをDVD-Rに焼き付けるソフト」でインストール用DVDを作成→ドライブから起動しインストールを行なう、という手順は近年のOSで共通である。
ただし気をつけたいのが、これらのフリーソフトらは基本的に「英語ベース」である。日本語表示で扱う際であっても、様々な局面で問題が起きた際には英語が必要になる場面が少なくないため、その辺りは最低限の英語力や「検索スキル」がどうしても必要になってくる。この点で「最初に触れるOSがUbuntu」となるような一般人には、安易にお勧めできないのもまた事実なのである。